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大阪地方裁判所 昭和40年(ワ)6201号 判決 1968年3月21日

原告 橋本米子

<ほか一名>

右原告ら訴訟代理人弁護士 高橋武

同 長浜靖

被告 余野部みさ

<ほか一名>

右被告ら訴訟代理人弁護士 窪田稔

主文

被告らは各自原告らそれぞれに対し各金一、〇〇〇、〇〇〇円及びこれに対する被告余野部については昭和四一年一月二一日以降、被告増田については同年同月二二日以降右各支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

この判決は仮に執行することができる。

ただし被告らが各自原告らそれぞれに対し各金一、〇〇〇、〇〇〇円の担保を供するときは右各仮執行を免れることができる。

事実

(本訴申立)

主文第一・二項同旨の判決及び仮執行宣言。

(争いのない事実)

一、本件交通事故発生

発生時 昭和三七年一二月三一日午後五時二五分頃

発生地 三重県上野市四十九町上野青山線非舗装県道上

事故車 普通自動車 三3七六号

運転者 被告増田

被害者 訴外亡橋本悟(軽自動二輪車運転)

態様  北進する事故車と南進する被害車両との間に事故が惹起した。

結果  被害者は頭蓋骨折により死亡した。

二、事故車は被告余野部の所有である。

(争点)

一、原告の主張

(一)、事故現場南方に県道と丁字型に結ぶ西方からの私道があるが、事故車は右私道から左折して県道の略々中央部を驀進して来て、その右前車輪を、折柄帰宅のため対向して来た被害車両に接触させ、被害者を跳ねとばして道路東側森下弁柄工場コンクリート塀に激突させた。

(二)、被告余野部は事故車の運行供用者で、被告増田の運転を承認していた。而して本件事故は被告増田の前方不注視・徐行懈怠・速度違反・交差点先順位優先無視の過失にもとづくものである。

(三)、本件事故により原告らは次の損害を蒙った。

1、(イ)亡悟の逸失利益 一、四〇〇、〇〇〇円

亡悟は当時三七才で月収一八、〇〇〇円を得ていた。平均余命は二九・一四年であるので、月当生活費八、〇〇〇円を差引きその間の得べかりし利益をホフマン式計算により年五分の中間利息を控除して算定すると、その現価額は右額となる。

(ロ)原告らの相続

原告米子は亡悟の配偶者であり、原告嘉人はその子である。従って前記亡悟の逸失利益損害賠償請求権につき、原告米子はその三分の一を、原告嘉人はその三分の二をそれぞれ相続した。

2、原告米子 一、〇四五、九五七円

(イ)逸失利益相続分 四六六、六六七円

(ロ)慰藉料 五〇〇、〇〇〇円

(ハ)葬儀費 七九、二九〇円

3、原告嘉人 一、二三三、三三三円

(イ)逸失利益相続分 九三三、三三三円

(ロ)慰藉料 三〇〇、〇〇〇円

(四)  原告らはそれぞれ以上の内金一、〇〇〇、〇〇〇円宛を請求する。

二、被告の主張

(一)、本件事故は、亡悟が飲酒して被害車両を運転し、急に県道中心線を超えて事故車進路上に進入し、その前部右端に衝突したことにより生じたもので、全く亡悟の重大な過失にもとづくものであり、被告増田には何らの過失もない。

(二)、事故車は当日午后五時頃、被告余野部の息子徹が被告余野部に無断で運転し、上野市銀座通上野信用金庫前に至って停車下車したところ、かねて顔見知りの被告増田がちょっと車を貸してくれと云って、拒絶したにも拘らず無理やり乗車運転して行き本件事故を惹起したもので被告余野部は本件事故と何ら関係なく、責任を負ういわれはない。

(証拠)≪省略≫

理由

(争点に対する判断)

一、(イ)、本件事故地点は幅員約八メートルの県道上で、その南方約三〇メートルには西方からの私道と丁字型に結ぶ三叉路がある。被告増田は事故車を運転し右私道から左折して時速約二、三〇キロメートルで県道上中心線より稍々左側(西側)を北進し、亡悟は被害車両を運転して北方から同県道上中心線より稍々右側(西側)を可成りの速度で南進した。被告増田は左折後約一〇〇メートル前方に被害車両の前照灯を認めたが、道路右側(東側)部分に充分余裕もあるので、被害車両が避譲してくれるものと考え、道路左側部分になお余裕はあったけれどもそのまま進行したところ、被害車両も進路を変えることなく対向して来たため、その前方約一〇メートルに至って危険を感じ急拠急制動の措置を講じたが及ばず本件事故に至った。なお亡悟は当時飲酒していた。

(証拠≪省略≫)

(ロ)、本件事故車は被告余野部がその建材業営業のため購入し、主として息子である訴外徹にその使用並びに管理を委ねていたものである。当日訴外徹は被告余野部に「集金にゆく」旨を告げた上、事故車を運転して出たが、偶々東町の信用金庫前で友人と会い、下車して雑談していたところ、中学時代からの親しい遊び友達である被告増田が「会社にゆくのに車を貸してくれ」といいながら、訴外徹が諾否の返答も与えないうちに事故車に乗込んで動き出したので、「オーイ」と叫んで呼び戻そうとしたが、被告増田は「一〇分位ですぐ済むぜ」と云い残したのみで走り去って了った。被告増田としては、たとえ訴外徹が明らかな承諾をしていなくても、同人とは後刻済まなかったと云えば済むような友人関係であることから、使用後、両名がよく出かける喫茶店にゆけばそこで訴外徹に事故車を返却しうると思っており、訴外徹も亦同喫茶店で被告増田から事故車の返却を受けうるものと考えて同店に赴き待っていた。

(証拠≪省略≫)

二、以上の事実に徴すると、被告増田は、亡悟運転の車両が対向南進して来るのを約一〇〇メートル手前で認めえたのであるから、爾後同車に対する注視を怠ることなく、同車が自車の北進に気付かず、自車進路前方に当る道路右側(西側)部分をそのまま避譲することなく南進して来るにおいては、適宜警音器を吹鳴して注意を喚起し、或いは自ら更に道路左側に避譲するなどの措置を講ずべきであったのに、相手方において当然避譲するものと考え漫然進行を継続した過失を免れないというべきである。又被告余野部はその所有し、営業に使用する事故車を、主として訴外徹の運行・管理に委ねていたものであるところ、被告増田は、被告余野部の集金のため事故車を運転して出た訴外徹より、同人と前記のような密接な友人関係にあったことから、結局はその容認を得られるものとして偶々これを一時借用に及んだもので、使用後は直ちに返還する意図のものであり、訴外徹も、被告増田の事故車使用に明らかな許諾は与えなかったとはいえ、結局は致し方ないものとして両名行きつけの喫茶店に赴いてその返還を待っていたのであるから、このように、本来の運行支配を有するものから現実の運行・管理を主として委ねられている運転者との間に結局は事後において自動車の運転につきその許容が予想されるような密接な人的関係のある第三者が、その関係に由来して、しかも使用後は、その現実支配が早期に右運転者に回収される予定のもとに、一時借用運転したものであるような場合には、本来の運行支配者は右第三者の運転によってもなおその運行支配を喪わないと解するのが相当であり、そうとすれば、被告余野部は、本件事故当時、事故車を自己のため運行の用に供する者であったというを妨げないといわねばならない。

三、亡悟は、当時三七才で、菊山肥料店に勤務して外交を担当し、月収約一八、〇〇〇円を得ていた。本件事故なかりせば、今後その平均余命内において二六年間就労可能で、少くともその間を通じ右額程度の収入を挙げえたと思われるから、月当生活費八、〇〇〇円を差引き、その間の得べかりし利益を、年五分の割合の中間利息を控除してホフマン式計算により算定すると、その現価額は、一、九六五、四六八円となる。

(証拠≪省略≫)

四、(イ)、原告米子は亡悟の配偶者、同嘉人はその子である。従って右逸失利益の相続分は原告米子六五五、一五六円、原告嘉人一、三一〇、三一二円となる。

(ロ)、原告米子は亡悟の葬儀費として少くとも七九、二九〇円を支出した。

(ハ)、原告らは本件事故によりその夫であり、その父である一家の中心を失った。その他本件証拠上認められる諸般の事情を考慮すると、原告らの精神的苦痛に対する慰藉料額は原告米子一、五〇〇、〇〇〇円、原告嘉人一、〇〇〇、〇〇〇円と認めるのが相当である。

(証拠≪省略≫)

五、そうすると右損害額合計は原告米子において金二、二三四、四四六円、同嘉人において二、三一〇、三一二円となるところ、前認定のように、本件事故発生については、亡悟にも、道路右側部分を前方への注視を充分尽さないで進行した重大な過失を免れないと認められ、これを斟酌すると、その過失の割合は、被告増田において六割亡悟において四割とするのが相当であるが、右過失相殺分を控除してもなおその範囲内で請求する原告らの本訴請求は理由があるというべきであり、被告余野部は自賠法三条により、被告増田は民法七〇九条により、各自原告らに対しそれぞれ金一、〇〇〇、〇〇〇円及びこれらに対する訴状送達の翌日(被告余野部については昭和四一年一月二一日、同増田については同年同月二二日)以降右各支払いずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。よって民訴法八九条九三条一九六条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 西岡宣兄)

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